ぶらり旅  2006年 12月 2日 中山道 鵜沼宿から太田宿
                            

  
  中山道鵜沼宿まで歩いたあと、ブログにかまけてなかなか更新できなかった街道歩き。
  ぼちぼちと思いつつ・・・鵜沼宿から太田宿までです。
  
                 
  

  まずは鵜沼からうとう峠を越えます。
  鵜沼から峠への入口にある石標。
  道は住宅街の旧坂を上って行きます。
  
  



                   いきなり道を外して鵜沼の森に迷い込みましたが、
                                            旧道ははるか下でした。
 
 
                     うとう峠 口                   うとう峠一里塚                うとう峠 口
                                 
  鵜沼側の峠入口からは下る一方の道で、途中の「うとう峠一里塚」を見たら跡は何も見るものはない。
  すぐに太田側の入口に出る。
  峠口を出て国道をくぐると木曽川に出たあとは国道に戻る。
  しばらく国道を歩き岩屋観音の下を行く中山道。
  やがて木曾川に沿ってライン下りの奇岩を見ながらの国道と堤防歩きが続く。
    
  国道歩きから道は右へ折れ、芳春院や深田神社を見て右に曲がると太田小学校
  時期とはいえ、校庭の公孫樹の木にはたわわに実った銀杏が・・・。
    
          芳春院                   深田神社                 銀杏

    
         道標               高札場跡

   
  国道41号の高架をくぐって左に、次を右と曲がるがここが下町の枡形。
  右に曲がる角に道標がある。
  「右 関上有知 左 西京伊勢」。 前に高札場跡の立看板がある。

  静かな宿の通りを行くと、花などが飾られた小奇麗な酒屋さんがあった。
  左に「中山道太田宿・・・」の灯篭型行灯、右の赤い旧型ポストが店によく似合う。

  

  少し先に残る本陣門跡。
  一間の薬医門(本柱が門の中心線から前方に置かれている門)で、
  両袖に半間の塀が付く。
   
  この前が太田宿中山道会館。そしてその隣が旧太田脇本陣林家住宅。
  格子戸に連子造りの窓。うだつ屋根、真ん中に長屋門の立派な建物である。
  もらったパンフでは「明治15年4月4日に、板垣退助がここに宿泊し、
  翌朝、岐阜に赴いて暴漢に襲われたことはあまりにも有名・・・」。とあるが、
  ここに泊まった?なんってことはまったく知らなんだね〜。
  今は建物の一部である「隠居家」が公開されている。

  
  旧吉田屋住宅(小松屋)や土蔵造りの風土舎など、古い建物が町並みによく似合っていい。
    
        本陣門跡 医薬門             旧大田脇本陣林家住宅         旧吉田屋住宅         
    
       祐泉寺           芭蕉句碑      北原白秋歌碑、坪内逍遥歌碑     太田の渡し跡
  すぐ傍が祐泉寺(山門は右手の川側にある)。
  境内には芭蕉句碑の他にも北原白秋歌碑、坪内逍遥歌碑などが建ち並ぶ。
  祐泉寺横を左、右と折れる。ここが上町の枡形である。
  この先で旧道は右に折れるが、もらった地図を見ても曲る場所が分らなかった。
  適当に川側に出て堤防を行く。
  大田橋手前で川原?に下りると石畳の道が残る「太田の渡し」跡である。
  「木曽のかけはし 大田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれたように、
  木曽川越えの難所だった・・・。とパンフにある。

  確かに「日本ライン下り」の舟乗り場は、この太田橋の上側にある。
  木曽川は満々と水を湛えて、まさに悠然と流れていた。
  

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